昨日受け取った荷物の重さを量ってみたけど、2箱で20kgしかねーじゃねーか。まあもっとも中身を出してしまった部分もあるんだけど。それでも出したのは軽いのばっかりだからその辺を考慮すると重めに見ても25kgくらいなんじゃないかなー。
下期の目標をたてなきゃいけないんだけどこれがノープラン。いやまあ売上とか利益方面は今関わってるプロジェクトの予定から適当にコピーして持ってくりゃいいと思っているんだけど、問題は組織貢献という項目。しらんがなそんなん。しかし目標管理については調べれば調べるほどやる気しなくなるなあ。人は信じたいものを信じるとの言葉通り俺はあんな面倒なものはなくなってしまえと思っているので、悪い点に余計にフォーカスしてしまうということはあるんだろうけど。ほら、ピープルウェアによれば生産性が一番高いのは目標を設定しない場合だって言うしさー。そんな感じで最近ふと思ったのは、目標管理という評価の手法(←評価手法という考え方が既に間違っているという説もあるけど)というのは政治形態における民主主義みたいなものなんじゃないかと。パフォーマンスの最大値が低い代わりに最小値が高いとかそんな感じ。そう考えると大きい企業でこういうのが導入される傾向があるというのもわからんでもない。パフォーマンスのブレが小さいということはリスクが小さいと言うことに繋がるわけで。
部分最適じゃ何の意味も無い」というのをときどき聞くんだけど、そういうのを聞くたびになんか適当なことを言ってるなあと感じてしまう。まあ言いたいことは分からないでもないし、インパクトを持たせるために多少大げさな言い方をしてしまうと言うのも分かるんだけど、それでもやっぱり。そもそも例として挙げられるものって(たまたま意味がない)部分最適化しかなくないか、と。これが「意味のない部分最適化は辞めましょう」だったら分かるんだけど。他の部分に影響を与えずに局所的なプロセス改善に意味がないとは思えないんだけどなあ。あーひょっとして「他の部分に悪影響を与え、全体として見ると効率悪化になる」ものだけ部分最適と定義してるのかな。そう考えないと局所最適解(=部分最適)⊇大域的最適解(=全体最適)なわけなので、局所最適がNGで全体最適がOKなのは矛盾していることになってしまうしなあ。ひょっとして経営用語としての「最適」という定義が他にあったりするのだろうか。