シン・エヴァンゲリオン劇場版:||を見てきた話

(ネタバレあります)

正直言って、公開されるまではそこまで熱心に見に行こうという感じではなかった。なので1月の公開延期のときも「まあしょうがないね」と言えるような余裕があったのだ。もちろん劇場には見に行くだろうし、劇場だけで2,3回見るんじゃないかなという予感はしていたのだが。
初回上映が終わって、徐々にその熱が伝わってきた。1日目の終わりにはもう居ても立っても居られないような、そんな気分になっていたのだ。「斗羽と猪狩が試合をするのです。それは私にとって全てに優先されることです。」というバキの1コマがあるが、あの気持ちが少しだけわかった気がした。初日のチケットを取らなかったことを少し後悔しながら、2日目の最終回を取った。緊急事態宣言がなく、深夜上映があったとしたら、間違いなくそれを取っていたと思う。

そんなわけで3/10。16時に退勤して映画館へ向かう。事前の根回しは十分した。少なくともこのタイミングで電話がかかってくることはないはずだ(電源切ってたけど)。新宿の劇場はまるで緊急事態宣言を忘れさせてくれるような混雑っぷり。それにしても映画館くるのも久しぶりだな……10月のTENETが最終なので半年ぶりとかかな。いつものようにコーラLを買って、入場者特典をもらって座席に着く。いよいよか。


前置きが長い。


始まった。最初は序破Qのダイジェスト。そういえば前作からもう8年も経ってるんだなと思いながらも流れていく印象的なシーンたち。完結編が始まるという気分をこれほどまでに高めてくれるものが他にあろうか。最初のシーンはエッフェル塔エッフェル塔ですよ! Qのテレビ版放映のときに、「これはもう平成のN-ノーチラス号ではないか」と思ったものだけれど、まさにまさに。そのエッフェル塔なわけです。もうこれ最後冬月先生が塩の柱になっても驚かねえなとか思ってた。
マヤの「これだから若い男は」がとてもいい。


舞台は転換してパイロットたち。いやこれちゃんとQの続きからやってくれるんだな。大人になったトウジと出会って向かう先は小さな集落。ケンスケ、ヒカリとあの教室を共にした同級生の成長した姿。ああこれはつまり同窓会なのだ。シンジだけが旧劇かと思うようなキャラのまま、成長していない姿は旧劇の現実を見ろというメッセージにも繋がっているのではないか(知らんけど)。これは旧劇のやり直しなのだ。
ところでこのシーン、アスカと一緒に自販機のところまで来たと思ったんだけど、ケンスケの家にいたアスカは既にずいぶん長いこと居ついているような印象で、ちょっと強い違和感を持った。「村を守っている」のような発言もあったし、まあ以前からここにちょくちょく来ていたということなのかな。


さて、進んで南極の話。あのL結界を割りながら進んでいくのにはなんとなくリヴァイアスを想起したのだけれど、南極の死の土地というのはすなわち深海のメタファーであり(適当)、つまりこれはナディアではないのか。そこに最後の戦力を率いて襲ってくる冬月先生。やーもうこの人完全にガーゴイルのポジションだし実質これはナディアと言っていいんじゃないですか。最後はちゃんとLCLの十字架になってくれたのは安心した。
ゲンドウとミサトが対峙したところで語られる、"ニアサー"の背景なんだけど、序を見たときの「これは2周目ハードモードなのだ」というのを強く思い出させる流れであった。1周目はこれが成立してサードインパクト⇒おめでとうという流れであり、2周目はシナリオ分岐で加持が防いで最終章に繋がったという感じじゃないのか。やはり分岐点はあのスイカ畑……そういえば2代目加持リョウジもスイカ畑にいましたね?


ところで当初嘘バレで「溶鉱炉に沈んでいく初号機」ネタを見かけたので、「特にラストシーンで初号機が親指を立ててディラックの海に沈んでいくシーンは涙無しには見られませんでした」とか思いついたんだけど、よく考えたらそれはTV版16話のことである。なぜ唐突にそんなことを思い出したかと言えば、シンジとゲンドウが向き合うシーンがまさにディラックの海の中であったものの延長だからだ。ゲンドウの目的としての本筋は昔と同じ、当時謎本とかにかぶれていた我々にとってそれはもはや目新しい話ではなかったのかもしれない。細かい部分は正直消化しきれなかったのでこれは2回目だなー。初号機と12号機がもみ合ってるところなんかはおそらく1つ1つのシーンすべてに意味があるんだろうけれど、何度見てもわからない気がするので有識者の解説がほしい。


アスカに関してはあの砂浜でシンジと2人になったところが一番感極まった。いやーアツいシーンはたくさんあるんだけども。対比になるのはもちろん旧劇のラストである。旧劇の当時は2人とも14歳だったのであの結末だったのが、好き"だった"って思い出話として語られるのだ。同窓会じゃんこれ。どこだったかゲンドウの言った「大人になれ、シンジ」のセリフが思い起こされる。彼らは大人になったのだ。


ラストシーンではシンジとマリが並び立ったところから宇部新川の駅名標⇒街並み遠景と引いていくところに混乱した。劇中に全く1ミリもそぶりがなかった宇部である。どういうこと。識者に聞いた結果庵野監督の出身地だということで納得。いやなんかここめっちゃ見たことあるぞ(泊ったことがある)とか思ってしまった。あの宇部興産の橋いいよね。ここはまあマリが正ヒロインだったんだなーくらいの感想なんだけど、そういえば途中で「イスカリオテ」とか呼ばれてたね。あれなんなんだろう。過去の写真とかにも出てきているし、いろいろ背景があるはずなんだけれど。


そして終幕。
なんかまあいろいろ受けきれずに取りこぼしまくったなという感じもあるので、とりあえずもう1回だなーという思いもあるのだけれど、とにかく「きれいに終わった」という感覚がものすごい。「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」とか「エヴァの呪い」とかってキャッチコピー(~呪いは作中のセリフだけど)が向けられているのは我々視聴者だったのだ。うちの地域はTV放送が1997年(シト新生合わせで深夜に集中放送してた)だったので23年ではあるのだけれど、自分自身ここまでエヴァに入れ込んでいたのかというのに気づかされた。いやほんと、見に行く前はここまで熱を感じていなかったはずなのだけれど。シト新生~旧劇あたりを(もう)一度見てから再度見に行きたいかな。

まあ何はともあれエヴァは終わった。呪縛から解放された我々は未来に生きていかなければならない。……と言いたいところなんだけれど、そういえばコミックス版最後まで読んでないんだよな。俺の中のエヴァはもうちょっと続くのかもしれない。