ゲームプレイと手軽さの話

11/6のつづき。
よくよく考えてみると、ゲームが発売される前から情報を集めて期待を高めて発売日に買いに行くっていうスタイル自体の否定につながってる気がした。そもそも巡回路にゲーム屋がない以上、ゲームをわざわざ買いに行くと言う行為自体がゲームに対して構えているんじゃないかとさえ思える。flashゲームとかそう考えると非常に強いな。


長期間にわたってそのゲームを続けられるかと言うポイントは、ゲームを生活の一部として取り入れることが可能かどうかにかかってるんじゃないかと思った。何となくそのゲームをやってない日があると気持ち悪いとかそういう感じになれば、もう1年や2年くらいは余裕で持ちそう。動物の森はその点かなり良くできていると思うんだけど、マルチプレイヤーである欠点というか、とにかく大量に時間をつぎこんで先行するタイプのプレイヤーとは上手く折り合いがつけにくい感じがする。まあ動物の森の場合は複数人でプレイできた状況自体に感謝すべきか。俺も新規にはじめた直後ってのはある程度の時間を投入するけども。東方もはじめた直後は1日3時間とか余裕でやってたしね。


そういう見方をすると、レベル上げとチャットしかないと言われるMMOから人が離れない理由がわかってきた気がする。それは既に生活の一部なんじゃないだろうか。そうやって少しずつでも時間を積み立てることでキャラが育つ楽しさというか。


あ、この考え方って要するに「上を見ない」と言う点に集約される気がしてきた。今より面白いゲームを求めていくと、自然と新作情報とかもチェックするようになるだろうし、新しいゲームにさっさと乗り換えて行ったりもすると思う。これが「現状に満足する」なら少なくともそのゲームに飽きて、一定水準以下の楽しさしか得られなくなるまで乗り換えが起こらない。まあコミュニティがどうとかもあると思うんだけども、それはそれとして。


if→itselfの2004/02/05(→http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/7780/log0402.html)を読んであーそんな感じそんな感じとか思ったんだけど、よく考えてみればゲームにおいて俺が「行き着くところまで行ってしまった人」なわけないな。あーでも到達点の高さなんて人それぞれだからなあ。俺のゲームに対する最終到達地点が大して高くない所にあるって可能性もあるか。